谷山・志村予想とは
「有理数体上の楕円曲線(注1)はモジュラー関数(modular function)で一意化(uniformization)される」という命題が,谷山・志村予想と呼ばれているものです.このような形で明確に定式化したのは志村五郎です([11], p. 245).
円の方程式 x2+y2=1 は x=cos t, y=sin t とパラメータ表示され,tを実数の範囲で動かすと円上のすべての点が得られますが,このことを円が三角関数で一意化されるといいます.楕円曲線とモジュラー関数についても同様のことが成り立つというのが上の命題の意味です.
古典的な結果としてすでに,楕円曲線がワイエルシュトラスのペー関数と呼ばれる楕円関数によって一意化されることが知られています.谷山・志村予想によれば,楕円関数の代わりにモジュラー関数が利用できるというわけです.モジュラー関数のような「良い性質」を持つ関数で一意化できると,楕円関数ではできなかったいろいろなことが証明できます.
予想に谷山の名前が付いているのは,1955年に日光で行われた代数的整数論の国際シンポジウムにおいて谷山豊が楕円曲線と保型形式(automorphic form)との関連について問題の形で言明したことによります.ただし,谷山自身はモジュラー関数だけでは不十分だろうと思っていたようです([5], pp. 188-189, [11], pp. 248-251).
残念なことに,谷山豊は1958年11月17日に31歳という若さで自殺してしまいました.理由は不明です.さらに,彼の婚約者がそのあとを追って自殺しています.
谷山・志村予想の呼び方は定まっていません.ここでは「谷山・志村予想」と呼んでいますが,他にも「志村・谷山予想」「志村・谷山・ヴェイユ予想」「谷山・ヴェイユ予想」あるいは単に「ヴェイユ予想」と呼ばれることもあります(注2).ここにフランスの偉大な数学者アンドレ・ヴェイユの名前が登場する理由は,彼がこの予想に関連するいくつかの論文を発表し,大きな業績を上げたからです.
しかし一方で,数学者サージ・ラングが,この予想に関するヴェイユの発言を徹底的に調べ上げ,その調査結果を「ラング・ファイル」あるいは「谷山・志村ファイル」と呼ばれる文書にまとめたという話は有名です([5],pp. 188-191, [8], pp. 137-157).彼は,ヴェイユが当初予想が成り立つことを信じてはおらず,この予想の成立にはなんの貢献もしていなかったと断定しました.
モジュラー関数や保型形式の定義については,岩波数学辞典第4版を参照してください.ここでは,モジュラー関数,モジュラー形式はそれぞれ保型関数,保型形式の特別なものであるということだけ注意しておきます.
(注1)楕円曲線とは,x, y を未知数とする方程式
y2 = x3 + ax2 + bx + c (a, b, c は有理数)
で与えられる曲線で,右辺が x の多項式として重根をもたないものをいいます.
(注2)単に「ヴェイユ予想」という場合には,1949年に代数多様体の合同ゼータ関数に対してヴェイユが主張したリーマン予想の類似のことを意味することのほうが多いです.この予想は1973年にベルギーの数学者ドリーニュによって完全に解決されました.
谷山・志村予想の解決
1980年代,ゲアハルト・フライが「谷山・志村予想が正しければ,フェルマの最終定理も正しい」ということを発表しました([1]).しかし,フライの主張が成立するためには解決しなければならないいくつかの問題があることをジャン・ピエール・セールが指摘しました.その後,ケン・リベットがそれらの問題を解決しました([2]).
1990年代前半から中頃にかけて,アンドリュー・ワイルズが,半安定(semi-stable)な楕円曲線に対して谷山・志村予想を証明し,その副産物としてフェルマの最終定理を証明しました([3],[4]).
ワイルズが本格的に谷山・志村予想とフェルマの最終定理の証明にとりかかったのは,リベットがフライの主張を証明したというニュースを聞いた1986年頃だそうです(注3).それから彼は何年もの間,あらゆる他の研究から手を引き,屋根裏の勉強部屋にこもって谷山・志村予想の証明に集中したといいます([5], pp. 192-193, [8], pp. 167-170).
ワイルズは,谷山・志村予想をガロア表現(注4)の言葉で言い換えることによって証明しました.1993年の時点で,谷山・志村予想の証明をある種のセルマー群(注5)の元の個数を数えることに帰着するところまでは成功していました.そのときには,セルマー群の大きさを評価するのにオイラー系(注6)を利用することを考えていました.しかし,その方法による証明に大きな欠陥が見つかりました.次にヘッケ環を利用する方法で再挑戦し,かつて自分の学生であったリチャード・テイラーと共に証明を完成させました.
その後,ワイルズの証明を改良することによって,谷山・志村予想に関する成果が次々と発表されました([7],[9]).そしてついに,クリストフ・ブルイユ,ブライアン・コンラッド,フレッド・ダイヤモンド,リチャード・テイラーの4人によって谷山・志村予想が完全に解決されました([10]).
(注3)リベットの論文の出版は1990年ですが,実際にはフライの主張は1986年に証明されています.
(注4)ガロア表現とは,絶対ガロア群から正則行列全体のなす群への準同型写像です. なお,絶対ガロア群とは,有理数体の代数的閉包(=有理数係数の多項式の根の全体からなる体)の,有理数体上のガロア群のことをいいます.
(注5)セルマー群とは,代数的整数論で重要な概念であるイデアル類群を一般化したものです.セルマー群の元の個数を数えることは類数(=イデアル類群の元の個数)を求めることに対応します.なお,本文中でいう「ある種」のセルマー群とは「保型形式に伴うガロア群の2次対称積表現」のセルマー群です([6], p. 15).
(注6)オイラー系はロシアの数学者コリヴァギンによって発明されました.なお,ワイルズはもともと岩澤理論の専門家で,1980年代前半にバリー・メイザーと共に,岩澤理論で重要な「岩澤主予想」を最初に証明しています.そのため岩澤主予想は「メイザー・ワイルズの定理」と呼ばれることもあります.その後1980年代後半にカール・ルービンがオイラー系を用いて岩澤主予想の別証明を得ています.
文献
[1] Frey, G., Links between stable elliptic curves and certain diophantine equations, Annales Universitatis Saraviensis 1 (1986), 1-40.
[2] Ribet, K. A., On modular representations of Gal(\overline{Q}/Q) arising from modular forms, Invent. Math. 100 (1990), 431-476.
[3] Wiles, A., Modular Elliptic-Curves and Fermat's Last Theorem, Ann. Math. 141 (1995), 443-551.
[4] Taylor, R., Wiles, A., Ring-Theoretic Properties of Certain Hecke Algebras, Ann. Math. 141 (1995), 553-572.
[5] 足立恒雄, フェルマの大定理が解けた!, 講談社, 1995.
[6] 加藤和也, 解決!フェルマの最終定理, 日本評論社, 1995.
[7] Diamond, F. : On deformation rings and Hecke rings, Ann. of Math. 144, 137-166, 1996.
[8] アミール・D・アクゼル(著), 吉永良正(訳), 天才数学者たちが挑んだ最大の難問, 早川書房, 1999.
[9] Conrad, B., Diamond, F., Taylor, R., Modularity of certain potentially Barsotti-Tate Galois representations, J. Amer. Math. Soc. 12 (1999), 521-567.
[10] Breuil, C., Conrad, B., Diamond, F., Taylor, R., On the modularity of elliptic curves over Q, J. Amer. Math. Soc. 14 (2001), no. 4, 843-939
[11] 志村五郎, 記憶の切繪図, 筑摩書房, 2008
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